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湯水河のひとりごと
湯水河のひとりごと:464
神戸マラソン
2011年11月20日
今日、神戸では記念すべき第1回神戸マラソンが開催され、朝からテレビも放映され、沿道には応援に駆けつけた方が溢れ、それはそれは本当にものスゴイ人の波が神戸を駆け巡りました!

ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=(o ̄∇ ̄)o ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=(o ̄∇ ̄)o ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=(o ̄∇ ̄)o ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=(o ̄∇ ̄)o ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=(o ̄∇ ̄)o ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=(o ̄∇ ̄)o

じつは私も今回参戦の予定ではありましたがヒザの故障であえなく急遽辞退することになってしまい、、とても残念で、悔しくて、うらやましくって、何だかそのモヤモヤした気持ちを晴らすべく愛犬ゼーくんとともにゴール前でランナーにエールを送っては、なんだか自分も走ったような気分を味わってきたのであります(≧∀≦)/
ウーちゃん元気です♪
2011年11月16日
2週間前に手術をしたウーリーママ、今日抜糸も無事終わって、傷口もキレイで一安心だよΨ(`∀´)Ψ
ウーちゃん手術中
2011年11月02日
レディとゲイツのお母さんのウーリーママ、少し前から乳腺のシコリが気になってて先生に診てもらったところ腫瘍と判断され、今日切除することに・・・、いっしょに避妊手術と痛んだ歯の治療も。少しでも健康で長生きしてくれればいい、けど、しばらくお腹痛いのはゴメンね(ノ_・。)
「ハングリーであれ 愚か者であれ」
2011年11月01日
スティーブ・ジョブズ氏が2005年スタンフォード大学卒業式でのスピーチをお借りしました。心の励みになります!お時間がありましたらお読みください。



 世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。


 まずは、点と点をつなげる、ということです。

 私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

 私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

 そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

 とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

 それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができたました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

 もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

 繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。


 2つ目の話は愛と敗北です。

私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。

 実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。

 1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。

 そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

 その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

 アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。


 3つ目の話は死についてです。

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

 1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

 一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

 人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

 誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

 あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

 私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

ハングリーであれ。愚か者であれ。


ありがとうございました。
全員帰宅。
2011年10月28日
26日にレディ&ゲイツ組とセバスチャンとウーリー組、27日にゼーくんが、そして今日28日にムーニーが帰ってきて、また家族が無事勢揃いしました!みんな何だかしばらく会わないうちにホームステイ先でひと回り成長したように頼もしく感じる、これでまた犬たちと一緒の賑やかな生活が始まる。
久しぶりの我が家、我が犬!
2011年10月25日
マウイ島で茶色い砂浜のシークレットビーチまでドライブ。ハワイ島は火山噴火口見学。オアフ島ではダイヤモンヘッドに登り、ワイキキの市街地で様々な人種の人たちとすれ違った。生きている地球のパワー・人のパワーをたくさん感じ、今までの自分に起きた良い事悪いことなど思い返せる時間を持てたとてもよい休暇になりました。

PS;ハワイは皆さんの言うとおり良かったです!
それぞれのホームステイ先へ
2011年10月16日
①ゼーの愛妻と娘のセバスチャンとウーリー母子
②息子のムーニーマン
③レディとゲイツ
④そしてゼーくんもそれぞれのホームステイ先へこの週末に旅立ちました。

今回はボクのハネムーンともあり、ゼーくんの血族や里親ファミリーの皆さんがワンコたちを預かってくれることに。こんなに一斉に家から居なくなることはめったにないので部屋がガラーンとしてる・・・。特にゼーゼマンは箱入り息子で、旅行中を除き、ゼーがまだ生後数ヶ月の小さい頃に犬風邪で病院に預けたとき以外は外泊などしたことがなく、ほぼ毎日仕事もプライベートも一緒だった。でもこうして信頼できる方たちの元へ預かってもらえることが何よりも、男泣きしてしまいそうなくらいうれしいY(>_<、) そして今回は家でお留守番のワンたちも、みんな達者で、ちゃんと各自のホームで言うこと聞くんだよー!
夢を1つ、あきらめた。
2011年10月13日
じつは先月ランニングした後から右膝の調子が思わしくなく、膝の痛みが1週間、2週間経ってもおさまらない。先日、神戸先進医療センターの一角にある整形外科を紹介してもらい診察に伺ったところ、膝の半月板損傷の疑いがでました。もしかすると手術の可能性も。11月に入ったらMRIで精密検査をするけど、ドクターからは無理に走ると今後もっと悪くなると警告されました。11月20日の神戸マラソン、運良く当選したけど辞退しようと決めました。向き・不向きでいうと、今の身体には向いてない、だったら悔しいけど今は仕方ないね・・・。
MARRIAGE
2011年10月10日
六甲の山の上の森にある小さな教会で結婚式をあげました。お相手は4才年下で会計事務所に勤める優しい女性です。お天気にも恵まれ、披露宴パーティーには友人や、日頃お世話になってるたくさんの方たちが駆けつけてくれました。心強い人たちがそばにいてくれ、祝福の言葉をいただけて本当に感謝です。犬もいっぱい、笑顔もいっぱいな家庭をこれから作っていこうと思います。
レディとゲイツ、すくすく成長中♪
2011年10月05日
左がゲイツ、右がレディ。二人ともそっくりだけど、レディの方が少し小さいんです、ゲイツに負けないくらいたくさんたべてるけどね・・・そういえばゼーくんのお母さんは小さくてゼーくんの半分ほどの体重、レディももしかすると小さい子になるのかも?
本日の日経流通新聞に紹介されました
2011年09月30日
ヤフー広告サイトの利便性について以前取材を受けた分ですが、模範店としてこのように新聞にまで掲載していただけてとても光栄です!これからも広告だしますね。

男前宣教師たちとお別れ...
2011年09月27日
ドットのすぐ近くにキリスト教のバラモン教会があって、3ヶ月前から近所で宣教活動しているときに仲良くなった。二人はアメリカ人で違う州の出身、ペアーでいつも行動を共にし、ショップの前を通るときはいつも手を上げては挨拶したり、時間があるときにはキリスト教の教えを聞いたり、日米の違いなどの世間話をしてた。二人は明日から配属の移動が決まったようで、今日は最後のご挨拶に来てくれた。あと9ヶ月は日本に滞在し、1年間の任期が終わると本国へ帰るそう。まだ二十歳で前途洋々のデュークとシハンに、これからもGOOD LUCKがありますように☆彡
ゼーゼマン10回目のお誕生日☆
2011年09月17日
ゼーくんが家族になってあっという間の10年、思い返してみると一緒に3度も引っ越しをした。ドットの看板犬に任命されたのは1才のとき、最初はホント言うことは全然聞かないし、吠えるし、マーキングもするしで・・・、特にひどかったのは万引!もう毎日毎日新らしいオモチャが入荷しては自分のモノにしてる、おやつもドッグフードもパッケージごと盗んで食べる食べる、しまいにはカウンターに金属製のごっついフックをつけてリードでつなぐことに。そしたら今度はリードを噛み千切ってまた好きなことしてた!ということで最終的にチェーンの首輪にチェーンのリードが使われ、お洋服を着て、今のようなゼーゼマンファッションになった。そんなゼーくんとドッグサプライドットの10年間の想い出を集めて、アルバムにしてみましたV(^-^)V

そうそう、今夜は愛知からお友達も来るので、みんなで一緒にお誕生日ケーキを食べよう♪

8月の思い出(3度目の富士山)
2011年09月09日

↑7合目の山小屋で、囲炉裏の前に外人さんの姿も。

↑夜明け前の頂上の鳥居が神々しい...

↑もうすぐ日が昇るよ、今回もヤッタよ、ピース(^_^)v

↑下山後に食べた富士山噴火カレー

↑ごちそうさまのあとに(一人笑)

↑手帳の証明印、見ると何度も立ち上がれそう!
台風でも元気いっぱい
2011年09月04日
台風で雨が降ってベチョベチョでも
濡れるの大好きなヨーゼフはいつも通り平気。

最近ハマってるPEEK-A-BOOを咥えて走り回ってた!
3度目の富士山頂アタック!!! と高山病予防
2011年08月24日
昔からそう、損なのか得なのか?思い立ったら抑えられない性格、先月の富士山の苦しさと達成感が忘れられず、山小屋の空き情報を入手、今回は一人旅で懲りずにまたもや挑戦してきました。

秋雨前線が停滞していたお陰で、登山ガイドさん曰く、『ここ5日間連続の悪天候のため登頂は危険で8合目あたりで引き返した。今日はどうだろうか、5合目でこの程度のそよ風でも山頂は大荒れ!』なんだと。6合目の安全指導センターで発表された当日の山頂の天気予報は「雨もしくは雷雨もしくは曇りもしくは晴れ」、どれだけ幅のある予報やねん?と内心思いながらも結局、行ってみなきゃわからないってこと。先のことはわからないからあまり深く考えず、とりあえず可能性を信じて出発した。今回の課題は【高山病予防】、前回から1ヶ月の間に体力トレーニングよりもむしろ高山病を予防するための知恵を本やTV番組から学んでおいた。

◆高山病の予防対策
①深い呼吸(しっかり吐き出してから空気を吸う深呼吸をすること)
②水分補給(空気が薄くなると血液が濃くなるので血をサラサラにするため)
③小股登山(半歩ほどの歩幅で歩いて息が上がらないよう体力温存)

この3つのルールを徹底して意識し、先週ランニング中に傷めてまだ本調子ではない右膝を守りながら、登山編成チームの中でも楽なペースで登れるフロントポジションを頂きました。

山を登り始めると一足早い秋の訪れを感じる肌寒いくらいの秋風、だんだんと星空になってきてお月様も顔を出してくれました。じつは5合目に着いたときから何だか息苦しくって、でも夜空を楽しみながらあっという間に2時間ほどで7合目の山小屋に到着。先月、山小屋前のベンチでヨガをしていたことをスタッフのお兄さんたちが覚えていてくれ、『また来たんですか?!』と声を掛けられた。今回もベンチでヨガポーズでストレッチなどをしていると、先月と比べてほとんど人通りがないことに気がつき、もうあと数日で富士山のオンシーズンもお仕舞いなんだと思った。


<山小屋で仮眠、そして山頂へ>
過去2度とも、山小屋での寝袋休憩時間に眠ることができなかった。今回も気持ちがたかぶり、消灯時間が過ぎて、イヤホンでリラックス音楽を聴いててもなかなか寝付けない・・・。時間が刻々と流れていく、皆が寝静まったとき、お隣のおじさまが大きな寝息をたて始めた、これはチャンスとばかりに呼吸を合わせた、すると不思議なことにカラダに重力を感じ、ふと張り詰めた緊張が抜けて眠りに落ちた。数分か数十分か・・・、どれくらい眠れたのかわからないけど、眠れたこと、高地にカラダが少しでも順応できたのがうれしい。間もなく部屋の明かりが灯され、起床の声が掛けられた。2時間ほどの山小屋休憩時間で少し体力が回復でき、なんだかヤル気もこみ上げてくる、服を上下一枚ずつ重ね着して、よし、山頂への再出発だー。
今回のコースは前回、前々回と同じ河口湖口(富士スバルライン)、7合目からの岩場が厳しい。8合目、本8合目、8合目5尺と、8合目と名付けられた長い登山道もキツイ。前回は本8合目(標高3400M)を越えたあたりから高山病の症状が徐々に始まった、今回も覚悟はしてたけどまだ症状は出ていない。9合目の鳥居を越え、渋滞した山頂への登山者の列を避けるように砂利道の下山道から登ることに。だんだんと疲れを感じながらもしっかりと3つの高山病予防対策を心掛け、特に水分補給だけは、これでもか、これでもかと言わんばかりに、リュックにたっぷり持ってきたミネラルウォーターを小まめに飲んだ。ストックを突く両腕にもうチカラが入らない・・・、頭がボーっとしてきて眠くなってきたときゴールの山頂が見えた!あと一息、あとひと踏ん張り、他には何も考えられない。
前回と比べて頭痛も吐き気もなく登頂できるとさっそく山頂の売店や神社へ物色に♪山頂は強風で体感温度はかなり低い、でも今回ほど山頂で余裕を感じられたことは今までなく、山頂での一人気ままの自由時間は、自分が少し成長した証かな。また来年も拝みに来よう、今回実践した高山病予防対策で仲間とともにもう一度山頂を目指そう!富士山は毎回違うことをボクに悟らせてくれます。そして6日ぶりの力強い御来光をありがとうございました。

最近のマイブーム
2011年08月13日
これこれ!ソルティ・ライチ( ̄∀ ̄)

果物のライチはキライじゃないけど、あの独特な食感と苦味がちょっと・・・
でもこのドリンクは甘みと塩分がほどよくて、ちょっぴり濃厚なポカリスウェットのような味

暑い日にうまーーい♪


レディとゲイツ
2011年08月11日
生まれて17週目になり、シルエットもだんだんゼーゼマンっぽくなってきました。
(右側の少し大きいほうがゲイツ)

まだドット2Fの階段から下りられないので
こんな風に一番上の段から階段を上り下りするボクたちを見ています。
2度目の富士山御来光(*'∀')VV
2011年07月31日
なんだか登り終わったあとは『ヤッター☆』という達成感がカラダ中を駆け巡った気がしました。あれからあっという間の1週間、先週の今頃は5合目について、やるぞやるぞと息巻いてた。去年の1度目の経験から、山頂では冬用グローブとニット帽が必要と学び、今年は忘れずリュックの中に。ストッキングのように脚にフィットしてあまり好かない運動用のスパッツだってカラダの為ならと履いて、甘いもの、しょっぱいものも、気分転換の音楽だって用意した。自分なりにいろりろ作戦をたてて、ペースを崩さないよう、深呼吸を忘れないよう、無理な脚力を使わないよう小股歩きでちょこちょこ登った。だけど8合目を越えて本8合目、標高3400M、ついに何もかも投げ捨てたくなるような、期待を自分を裏切るように重苦しい頭痛と吐き気を感じる軽い高山病の症状が始まった。今回のツアー集団37名全員大人のうち、この時点で7人がすでに離団届けを出して山を下りている、自分もその紙に名前を書くか書くまいか・・・、アメをなめてもチョコを食べても音楽を聞いても水を飲んでも何一つ楽しくない自分との戦いが始まった。『去年も登ったやんか』、『みんなうつむいてしんどそうやんか』、『富士登山は修行だ』、そんあ同じ言葉を何度も何度も繰り返して、ついに夜明け前に山頂に登りついた。去年は9合目5尺のところで陽が登ったことを思うと、今年の山頂からの日の出は成長したその証、久しぶりに涙がこみ上げてきて、朝陽を見ながら男泣きしました。チクショー、来年も頑張ってやる!高山病と戦ってやる!

最後にひとつだけ、今回自慢できることがありました♪山頂から5合目までスタスタスタっと3時間で下りられました。登りは8時間かかったのにね。毎年もし1回ずつ登るなら、ボクはあと何回登れるだろう、そして年齢を重ねて、はじめの●●回目までは自分も高山病で大変だったと人に言っている日が来るかも知れない。

レディとゲイツとボクのバリケン・トレーニング
2011年07月16日
レディとゲイツもゼーゼマンと同じくらい、どこにでも連れていける犬にしたい!
車だって、電車だって、新幹線だって、飛行機だって、いつもお部屋にしてるこのバリケンに慣れればきっと大丈夫のはず。1週間くらい前から「ハウス」と号令すると喜んで入る。出勤のときも、ゼーくんはリードで道を歩き、レディとゲイツはバリケンの中に入ってもらい坂道を行き来してる。道中はちょうど揺りカゴのようにぶらんぶらん揺れてて気持ちいいみたい♪たまに電柱とか、飛び出してきた人にぶつかったりもするけどね。

最近は成長して重たくなって、ドットにたどり着くころには腕がパンパンになりますが・・・。
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